▧ 開かれた対話(オープンダイアログ)勉強会感想

  1. 一週間眠れなくても、睡眠薬5日分処方で終わるという話があった。これは、どういう方法をとっているのか。安心できる場を作ってあげるというが、具体的にどんな風にケアしているのだろうか。
  2. 一週間眠れない人っているんでしょうかね?3日眠れなければ、普通に眠るんじゃないだろうか。
  3. Highになる方で眠らないでいられる人もいる。
  4. 一週間も眠れないと、いつか気絶するんじゃないかな・・・と、思う。
  5. 「健康体」や「常識」といった一般的に使われる言葉について、私が感じたのは、登場してきた人たちは、これが「健康体」とか「異常」だとか「病気」だとかそういうことで見ていないのではないかと感じた。目の前の人に病名がついているとしても、辛いということが起きていることが事実で、話を聞いている人はそのことを知らないけど、否定する権利はないと言っていたのが印象的。
  6. そもそも、今回紹介されていた実践は「治療」なのかな?という感想。当事者の人を治そうとするのが、治療であって、当事者の人がどうしたいのか、どう専門家の人に関わって欲しいのか、そこを考えたときに、仕事であったとしても、部下との関係がうまくいっていないとか、専門家にどうしたらよくなりますかね?というのではなくて、関係をよくしたい、誰から吸収できるか、専門家に知っていますかと聴いて、納得出来ればあなたを選びます。何かをしてもらっているようで、選んでいる感じ。自分で何かやっている感じ。自分が元気になっていく過程が印象的。私は患者さんたちを治していますと誰ひとり言っていない。
  7. 一方的に薬を投与するのではなくて、薬の副作用について、使用するについて、短期間について使用することについて、何かに依存しなくても、元気でいられる健康でいられるのはすごいなと思った。
  8. 成功事例はどこからきたのだろうか。薬剤投与の方法ではなく、人的ケアにおいて回復させていく、この取組を始めることはとても勇気がいることのように思う。前例がないと。それにしても、20年くらい前のことなのだが。
  9. 自分は介護の施設で務めているのだけど、精神薬が処方されていて、なにかあれば出すように言われている。映像の中でも登場していたリスパダールという薬、本人にはそれが何か知らずに飲ませている。本人からその薬について聞かれることはないが、実際のところ聞かれても説明できない。「よくなる」としか言いようがない。薬を渡す人が、そもそも薬の知識をもっていないと、不必要に薬を出してしまうことになってしまうように感じた。
  10. うまくいえないのだけど、統合失調症の初期状態で薬は要らないと紹介があった。落ち込んでいたときに、それが病気なんじゃないかと言われて、選択の余地もなく、薬をのむことを決められて、障害者として生きていくなら、それはとても恐ろしいことだと思った。そのときにこういう方法に出会うかどうか、人生がかわってくる。怖いなと思った。・・・本当に怖い。
  11. 高岡だと、精神の病院大きい所3箇所。そこに、通っていると聞いたなら、「大丈夫かな?」と思ってしまう。自分の中に偏見がある。自分が見ている限りだが、リスパダール飲んだからといって、何かがよくなるのを見た経験がない。もしかしたら、必要ないんじゃないかとさえ思っている。何かあれば薬を出してくれという悪循環。それは、終わりなく続いていく感じ。
  12. こういう治療はいいな、と思った。気分の変調があったりするとき、人に話したりすると楽になったりする。闇雲に薬に頼るのではなく、人と交流していく中で力を身につけていけるだろうし、対処していく力も身につけていけるだろうし。家族の話を聞くことも当事者だけでなく。
  13. 解決することを目的にしていないと言っていたことが印象的。自分だったらなら「聴いてあげるから」、「解決するよ」って言われたら、逆に言いたくないことも多くなるな。「解決してあげる」といわれたら、ここで吐き出さなければいけない、すっきりしなければいけないと思ってしまうから。どっちでもないのが楽。あんな仕事をするわけではないけど、人の話を聞くときにそんな立ち位置でいたいと思った。
  14. 統合失調症の初期症状に投薬が要らないということに、対話の中で収まっていくのかな。クライエントの状況があるので、映せないのかもしれないけど、どう心をひらいてもらっていくのか興味がわいた。
  15. この実践は、治療ではないよね・・・。では、なんなの?と考えを巡らせていたが、これらは、「普通のこと」なんだよね・・・。自分がどう思っているか、そういうのを感じたりすることは、普通の出来事であって、それを普通にやっているのだけど、それをすごいなと思っていると、それができていないからなのかもしれない。
  16. 誰かとコミュニケーションとる時、その人を細かいところをよく観察して、どんな声のトーンで話をしていいか、その人を観察します。何を求めているのかを、汲み取ってあげること。会話の中で本当に些細な~だった、してあげた、人の言葉のキーワードをのがさないということを、重要にしている。目の前に誰かがいて、話をしているときには、相手を認めている姿勢を伝えること。言葉ではなくて、姿勢を見せること。それは言葉ではない。
  17. 患者さんを尊重する、日本では偏見の目で見られる。大丈夫かなと見られることが主流。人間として、どんな状態にあっても尊重してもらえることは、メンタルの面でもケアになる。
  18. 結果を重きにおいている。治療じゃなくて、話を聞くことでよくなることを大切にしている。
  19. うつ病の人ははげましたらだめ、想いに寄り添ってとあるが、教育を受けるが、どうしても、大丈夫ですよとか、自分の意見をいってしまうので、そういう訓練を、聴いてあげる人も力量や経験を積んでいないと、逆効果になるのではないか。
  20. うつ病という経験がないからといって、教えてほしいというのもありなんじゃないかと思う。そこは事実だろうし。映像をみる限り、お互いわからないことはわからないと言い合っている感じがした。いろんな当事者、スタッフがいたけど、お互いに言い合っているのがとても印象的だった。
  21. そうした会話はあまり言わないですよね。普段の人間関係でも言わない。なんかわかったような気になることが多い。それはあまり誠実じゃない感じがする。
  22. 「あー、はいはい。」と聞き流すとき、相手に興味がない感じがする。あなたには興味がない、姿勢を見せてはいけない気がする。自分が本当に弱い立場だったときに、お金を頂いる立場で、そこで笑っていない立場だったとしたなら、どんな人からでもいろんな人から何を言われても、笑っていなければいけない。相手は弱い立場、相手はなんでも言ってくることにたいして、いちいち受け答えをしていると、相手の思うツボになってしまう。聞き流すことが必要になることもある。そうしているのだけど、受け流すことは、いろんな意味で捉えられる。相手が嫌がっている、態度にたいして、もうやめてというときも使う。
  23. 僕も相談されたら、どこかで話を終えなければとなってしまう。結果を自分が先にいってしまう。結構ある。まだまだ、そういう気持ちに寄り添うとかいうのはとても行かない。
  24. 血圧の薬。高いときは飲まないと、悪作用なんですかね。
  25. 多くの人が自宅で会うことを望んでおり、そうでない人たちも他の場所(町の中にあるオフィス)で会うこともできる。相談者が会いたいと思う場所を選ぶことができる。セラピストが立てた治療計画ではなく、クライエントやその家族にも参加してもらい、「治療者」となること。意思決定者として扱われること。セラピストらが自分たちの見立てや考えについて、討論していることについて、「自分たちの話についてどう思う?」と尋ねること。こうした聞かれ方をした経験はあるだろうか。それらは、相互にスーパービジョンするような関係ともいえる。セラピストたちは、治療するのではなく、社会にどう受け入れられるか、尊重されるかが重要な関心事としてもっている。彼らとは友人でもあり、仕事以外の話もできる関係といえる。
  26. 症状とされていることは、彼らの経験したことを隠喩的に話しているようなものと理解。その葛藤に取り組んだとき、症状は消えていくことだろう。入院について、病院にこなくてもいいのであれば、入院歴を残さずにすむ。毎日、集中的に訪問しミーティングを繰り返し、ずっと一緒にいることも可能。彼らのそばにいることで会話ができるかもしれない。薬についてじっくり話すこと。どうしてそれを処方するのか、どういう効果があると期待してのことか、もっと良い方法はないのか。これらのことを尋ねたり或いは考えたりしたことがあるだろうか。食事や運動、瞑想、ボランティアなど、投薬治療以外にも自分の健康に対して取り組める方法がある。